3/30放送の「爆報フライデー」で
元幕内力士の三杉里公似こと
岡本公似さんが特集されます。
現役時代は二子山部屋所属力士として
当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだった
貴花田の前に何度も立ちふさがり
「貴花田キラー」として名を馳せましたね!
そんな三杉里さんですが
引退後は借金を作ってしまい
相撲界からは離れてしまったそうです。
一体何があったのでしょうか?
今日はそんな元小結の
三杉里公似さんにスポットを当ててみました!
皆さん一緒に確認していきましょう!
<目次>
- 三杉里公似(岡本公似)さんの相撲時代の経歴やプロフィール。
- 三杉里公似(岡本公似)さんの借金の理由と現在の職業は?
- 対貴花田戦の八百長疑惑の真相に迫る!
- まとめ
三杉里公似(岡本公似)さんの経歴やプロフィール。
出典:http://www.misugisato.com/profile
四股名:三杉里 公似(みすぎさと こうじ)
本名:岡本 公似(おかもと こうじ)
出身:滋賀県甲賀市
身長:185cm
体重:159kg
最高位:東小結
所属:二子山部屋
三杉里さんは、1979年16歳で初土俵を踏みます。
順調に番付を上げていき
1988年5月場所では新入幕を果たします。
その後は、存在こそ地味ではありましたが
着実に番付を上げ長く幕内上位で相撲を
取り続けました。
特に当時、凄まじい勢いで番付を上げてきた
貴花田を初めとする「藤島部屋軍団」とは
非常に合口が良く、彼らの前に壁として
立ちはだかりました(後述)
30歳を超えてもその怪力っぷりを
発揮し上位力士を苦しめていましたが
両肘を痛めてしまい、それをきっかけに
番付は急降下。
1998年7月場所に通算700勝達成を手土産に
36歳で引退し、二子山部屋の部屋付き親方として
角界で後進の指導を始めるのでした。
三杉里公似(岡本公似)さんの借金の理由と現在の職業は?
ここまでは、相撲界でも充分な実績を残し
当然停年まで自分の相撲部屋を興し後進の育成に
本腰を入れるつもりだったと語る三杉里さん。
しかし自らの相撲部屋を興すには
億単位のお金を動かし年寄株を
購入しなければいけません。
その資金集めのために三杉里さんは奔走します。
当然、相撲界で活躍してきた自分は
親方になる資格があるから。
当時の自らの相撲部屋を興すには
お金以外の条件として
「関取(※十両以上)25場所以上」
というものがありました。
三杉里さんはその条件を当然クリアしていましたが
2006年に相撲協会が新しい規定を定めます。
これは相撲部屋の数が増え
所属力士の分散で経営に行き詰まる
部屋が増えたためとされています。
新しい規定は
- 横綱もしくは大関
- 三役(関脇・小結)通算25場所以上
- 幕内通算60場所以上
上記3つのうちいずれかを
満たしていれば問題なかったのですが…。
三杉里さんは
- 最高位は小結
- 三役通算3場所
- 幕内在位53場所
と、わずかに規定された条件まで届かず
残念ながら自らの相撲部屋を興すということが
出来なくなってしまいました…。
なんという不運。
結局そのまま相撲界を
退職することとなった三杉里さん。
手元には数千万円の借金だけが
残ってしまったとのことです。
その後は「ちゃんこ屋」を鎌倉でオープンし
実業家としての経営手腕も発揮し始めます。
相撲協会を退職した2007年からは
整体師としての学校に入学し
2009年には東京の中野に
「健康回復館 ごっつハンド」をオープン。
現在では整体師として経営者として
腕を奮っていらっしゃいます。
出典:http://www.terao.info/gh.html
肝心の借金はまだまだ返済途中のようですが
整体師としての評価も非常に高いようなので
是非これからも前向きにすすんでいって
頂きたいですね!!
対貴花田戦の八百長疑惑の真相に迫る!
三杉里さんの現役時代のハイライトは
前述した「貴花田キラー」「藤島部屋キラー」を
いかんなく発揮した点にあるのではないでしょうか?
一方で三杉里さんをネットで検索してみると
「八百長」というキーワードが出てきます。
どういうことでしょうか?
出典:https://www.jiji.com/jc/d4?p=tak912-jlp00927044&d=d4_spo
時は1992年の1月場所。
この場所絶好調だった当時前頭の
19歳の貴花田(のちの貴乃花)は千秋楽まで
13勝1敗で優勝争いのトップを走っていました。
この場所を最後に
叔父の二子山理事長は勇退。
理事長在任中の最後の場所となります。
甥っ子の貴花田が初めて優勝すれば
土俵の鬼と言われた二子山理事長の
勇退に花を添える見事なドラマが生まれるわけですから
日本中の誰もが貴花田初優勝に期待をかけていました。
その貴花田の初優勝が掛かる千秋楽の
取組の相手が三杉里さんだったわけです。
そして三杉里さんは二子山部屋所属!
1992年の初場所までの
貴花田との対戦成績は
5-0で三杉里さんの全勝。
当時の三杉里さんは持ち前の怪力と
土俵際の粘りで貴花田を悉く粉砕しており
当時19歳の若手の大きな壁として立ちはだかっていました。
貴花田には勝ってほしいけど
千秋楽の相手が三杉里!?
いや~ん(*ノωノ)
と当時の女性ファンが
言ったか言わないかはよく知りませんが
とにかく1992年初場所千秋楽は
日本中の期待を浴びる
貴花田の対戦相手として
“貴花田キラー”として
本来負けるわけにはいかないものの
師匠が貴花田と血縁関係で
さらに師匠は協会のトップとして
今場所が最後の場所という
おそろしく難しい立場で相撲を
取らざるを得なくなった三杉里さん。
その結末やいかに!?
結果は貴花田が三杉里を破り初優勝。
史上最年少優勝のおまけつきでした。
叔父の二子山理事長の勇退に花を添え
優勝賜杯授与の際には二子山理事長の目に涙。
「土俵の鬼の目に涙」と当時話題になりました。
出典:https://ameblo.jp/jfkrfk/entry-11362066650.html
この一番がいわゆる故意に
貴花田を勝たせた八百長ではないかと
一部で噂になっていたようです。
当然三杉里さんは明確にこれを
否定していらっしゃいます。
管理人もおそらくそういった類のものは
無かったのではないかと考えています。
当時の二子山理事長は率先して
「立ち合いの厳格化」「無気力相撲の厳罰」等
土俵の健全化を図っていらっしゃいました。
また土俵外でもほかの部屋の力士との
交流を極力避けるように弟子たちには
指導していたそうです。
この一番に
「八百長」などなかった!
…と信じたいところですね(笑)
まとめ
いかがでしたでしょうか。
お相撲さんが角界を去った後は
圧倒的に飲食店経営を始める人が多いのですが
三杉里さんは驚きの転身でしたね!
現役時代と同じく
土俵際からの逆転に期待しましょう!
本日もお付き合いいただき
有難うございました!