1/12の「爆報!THE フライデー」に
大相撲で活躍した元力士の
若ノ城宗彦さんが出演されます!
若ノ城宗彦さんは現役当時
その恵まれた体格を利して
「未来の横綱」と期待された
力士の一人でした。
ところが引退後腎不全を患い、
生命の危機に瀕していたということです…
若ノ城さんに何があったのでしょうか?
今回は若ノ城宗彦さんの
病気の原因と現在について
スポットを当ててみました!
皆さん一緒に確認していきましょう!
<目次>
- 若ノ城宗彦さんのwiki風プロフィール
- 若ノ城宗彦さんの低迷の理由や引退のきっかけは?
- 若ノ城宗彦さんのその後と現在は?
- まとめ
若ノ城宗彦さんのwiki風プロフィール
出典:Amazon.jp
四股名:若ノ城 宗彦(わかのじょう むねひこ)
本名 :阿嘉 宗彦(あか むねひこ)
生年月日:1973年4月13日(44歳)
出身 :沖縄県那覇市
身長 :191cm
体重 :157kg
学歴 :沖縄尚学高校卒
若ノ城宗彦さんは沖縄県出身。
沖縄尚学高校時代は柔道部に所属していて
1年時からレギュラーを奪取。
2年生の時に
全国高校柔道選手権の団体戦の
優勝メンバーに入ります。
柔道時代は「将来のオリンピック候補」と
呼ばれており高校の時点で既に
身長190cm、体重は150kgという
大きさがありました。
当然、柔道界以外にもその名は知れ渡り
大相撲の間垣親方(元横綱・二代目若乃花)が
各界にスカウトします。
若ノ城宗彦さんは1973年生まれですので
高校3年時と言えば1991年。
1991年頃と言えば、大相撲の世界では
空前の「若貴フィーバー」が
日本中を駆け巡り始めた頃です。
出典:https://www.jiji.com/jc/d4?p=sek121-jpp017694828&d=d4_ss
特に貴花田(後の横綱貴乃花)は
若ノ城さんとは1歳違いながら
既に幕内で大関・横綱をなぎ倒していた
時期ですからその辺りに触発されたのかもしれませんね。
そして1992年に間垣部屋に入門。
各界入り後はとんとん拍子に出世し
1995年に早くも十両に昇進。
新十両の場所でいきなり
12勝3敗で十両優勝を成し遂げます。
1997年には
のちの大関千代大海と共に幕内に入幕。
沖縄県出身としては
史上3人目の幕内力士の誕生という事で
周囲からはかなり期待された存在でしたが
その後は低迷し、最高位は西前頭6枚目。
2000年5月場所には幕下(十両の下)に陥落。
2004年に序二段まで番付を下げてしまいます。
ちなみに2004年5月場所での
西序二段79枚目という地位は
幕内経験者史上
最も低い番付まで
下がってしまった
という不名誉な記録でした。
その場所中にそのまま引退します。
若ノ城宗彦さんの低迷の理由や引退のきっかけは?
「将来は横綱」という
大きな期待を掛けられていた
若ノ城宗彦さんが、満足いく結果を
残せなくなった理由。
それは糖尿病です。
高校時代からその恵まれた体格の
代償として既に糖尿病を患っていたそうです。
当時は身体を大きくするため
毎日お米を一升(十合=約1.5kg)
食べていたそうです。
ですが、大相撲現役時代は
食や生活に気をつけ
筋力トレーニングに励むことで
その症状を抑えていたそうです。
ところが幕内昇進後は
タニマチ(後援会)等との
付き合いが多くなり
外食をする機会が増えます。
糖尿病は、バランスの良い食事を
適度に摂ることが大事ですが
外食でお酒を飲む機会や
食事の栄養バランスも崩れ始め
結果
糖尿病が悪化。
この頃は
「足の感覚がなく、廻しを締めるのも嫌。
土俵に向かうのですら、厳しい状況」
だったそうです。
つまり
歩けないぐらい糖尿病が悪化していた
という事ですね。
当然良い結果など残せるはずもなく
31歳という若い年齢で
土俵人生に幕を下ろすきっかけと
なってしまいました。
余談ですが、
若ノ城宗彦さんの師匠の
間垣親方の同期生に
「元横綱隆の里」の先代鳴門親方が
いらっしゃいました。
出典:https://middle-edge.jp/articles/4X49y
隆の里も糖尿病を患いながら
食事制限と豊富な稽古量で
糖尿病を克服し最終的には
横綱まで登り詰めました。
当時、隆の里は後援会の方々にも
「病気をしているので(お酒は)あまり飲めません」
と必ず説明し自制をしていたそうです。
お相撲さんは身体を大きくするために
一般の方よりも意識して食事を
たくさん採らなければいけません。
糖尿病はいわゆる
「職業病」に近いものだと思われます。
ですがやはり病気との向き合い方も
非常に難しいポイントなんですね。
若ノ城宗彦さんのその後と現在は?
若ノ城宗彦さんは2004年に引退後
親方として後進の育成に携わりますが
ほどなく退職。
その後は
元広島東洋カープ・安仁屋宗八さんの伝手で
プロ野球マスターリーグのディレクターを
務めることになります。
出典:https://www.jiji.com/jc/d4?p=okn089-jlp02304714&d=d4_spo
安仁屋宗八さんとは、おそらくですが
沖縄出身つながりという部分が
大きいのではないかと思います。
ここから新しい人生を…と意気込んだ
若ノ城宗彦さんでしたが
ここで再び病魔の陰が…。
大相撲時代と違い
デスクワークが中心となった仕事になり
運動不足となり糖尿病が悪化。
腎臓がほぼ機能していない
状態まで症状が悪化し
医者からは
「人工透析か腎臓移植の選択を迫られた」
そうです!
結局、当時63歳のお母さんから
腎臓を移植され生命の危機は脱します。
この時に
「自分は周囲に誰かがいるということだけで
辛いことでも立ち向かっていける」
と改心し自らの生活を改めます。
現在は血糖値の調整で
1日3回のインスリン注射を行いながら
都内の介護施設に勤務。
出典:https://www.youtube.com/watch?v=pe5gJYre3uI
「昔から病院やリハビリ施設で
皆さんに支えられてきた。
今度は自分が支える番になりたい」と
日々奮闘していらっしゃいます。
奥様の食事管理と、高校時代以来の
柔道の練習も再開し、今では症状も安定。
「子供もいるし、妻もいるので
そのために健康にならなければいけない」
と語っていらっしゃいます。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
そういえば貴乃花親方も
現役引退後に急激なダイエットで
周囲を驚かせましたが
大相撲時代の体型だと
肉体的に良くないと
判断したのかもしれません。
結局、病気やけがで
大成できなかった若ノ城さんですが
病気になってみて見えてきたものも
たくさんあるようです。
まだまだ44歳と
老け込む年齢ではありませんし
これからもご家族のためにも
健康に留意して過ごしていって
もらいたいですね(^^♪