1/10、テレビ東京系列で
「今夜解禁!
アスリート運命の一日
スポーツ名勝負の舞台裏」
が放送されます。
その中で特集されるのは
プロ野球の歴史において
伝説とされ、今でも語り継がれる
「10.8決戦」です。
ペナントレース最終戦で
優勝のかかる両チームが激突し
「勝てば優勝」の大一番。
今日は、その試合までの背景や
舞台裏などにスポットを当ててみました!
皆さん一緒に確認していきましょう!
<目次>
- 1994年のペナントレース
- 10.8決戦前夜
- 10.8決戦当日と長嶋監督のエピソード
- まとめ
1994年プロ野球のペナントレース
10.8決戦が行われたのは
1994年のプロ野球
セントラルリーグ(以下セリーグ)
が舞台です。
その年のセリーグの主役は
読売巨人軍(以下ジャイアンツ)。
1994年の監督は
「ミスター」こと長嶋茂雄監督です。
攻撃陣では
若かりし頃の松井秀喜
出典:https://matome.naver.jp/odai/2142526835372012701
主砲のベテラン落合博満
出典:https://matome.naver.jp/odai/2141277093875583701
投手陣では3本柱と言われた
桑田真澄・斎藤雅樹・槙原寛己
が好調で序盤から首位を快走します。
出典:https://middle-edge.jp/articles/I0001490
ちなみに1994年ジャイアンツの
開幕戦のスタメンオーダーです。
1番(左)グラッデン
2番(游)川相
3番(右)松井
4番(一)落合
5番(二)篠塚
6番(中)コトー
7番(三)岡崎
8番(捕)村田真
開幕から絶好調で8/18の時点で
優勝マジック25を点灯させます
一方もう一つの主役チームは
中日ドラゴンズです。
1994年の中日ドラゴンズを
率いたのは高木守道監督。
出典:https://store.shopping.yahoo.co.jp/jambalaya/12gg94-dvsg-15.html
先日逝去された星野仙一監督の後任でした。
この年の中日は調子こそ決して悪くないものの
今一つ波に乗り切れず、巨人がマジックを点灯させた
8/18時点で6ゲーム差の2位と
ジャイアンツからは離された位置にいました。
またマジックが点灯した8/18から
気落ちしたのかまさかの8連敗。
2位から一気に4位まで転落し
フロントからは今シーズン限りで
高木守道監督への「クビ」も
通告されていました。
ちなみに1994年の中日ドラゴンズの
開幕戦のスタメンオーダーです。
1番(二)立浪
2番(游)種田
3番(左)ジェームズ
4番(中)パウエル
5番(一)大豊
6番(三)仁村
7番(右)彦野
8番(捕)中村
8月時点ではかなり両チームに
開きがあったものの
中日ベンチは高木守道監督への
「クビ」通告を目の当たりにし
「最後の花道を優勝で飾ろう」という
気持ちでチームが一丸となります。
ジャイアンツは早い時期でのマジック点灯で
気持ちが緩んだのか失速。
逆に8/25から8連敗を喫し、
8/30にはマジックが消滅。
9月も月間で負け越すなど
一転、苦しい戦いになります。
一方中日は9月を
12勝3敗と大きく勝ち越し。
特に9/18からは9連勝し
一気に首位を奪取する位置まで盛り返します。
そして9/28の直接対決で
中日が1-0で勝利し
ついに同率の首位で
ジャイアンツに並ぶのでした!
10.8決戦前夜
一方で直接対決第1戦、9/28の翌日
9/29の直接対決が
台風接近により中止になります。
この【台風で流れた9/29の試合】の代替日が
10/8になり「10.8決戦」の舞台が出来上がります。
このことについて
当時ジャイアンツの長嶋茂雄監督は
「(9/29に中止になった中日戦を)やっていたら
中日の勢いからいってやられただろうし、
(中略)まさにあの”ハリケーン”は神風だった」
と振り返っています。
また後年、落合博満選手は、
この時期の巨人のチーム状態について
「2試合とも中止になることを願っていた」
と述べていらっしゃいます。
台風による順延を挟んで
決戦の前日まで4戦しましたが
共に3勝1敗となり
この時点で両チームともに
69勝60敗となり、最終戦に臨むことになります。
「10.8決戦」は文字通り
勝った方がペナントレース優勝!
という日本プロ野球史上初めての
大一番となったのです。
10.8決戦当日と長嶋監督のエピソード
中日ドラゴンズの本拠地
ナゴヤ球場で行われたこの試合は、
日本中から非常に大きな注目を浴び
プロ野球中継史上最高の視聴率48・8%を記録し
さらにNPBが現役の監督、コーチ、選手858人へ
調査したアンケート「最高の試合」部門で
ぶっちぎりの第1位に輝いた歴史に残る試合となりました。
当時の長嶋茂雄監督が
この試合のことを
「国民的行事」と表現されています。
出典:https://twitter.com/hashtag/今中慎二
またこの試合中日ドラゴンズの先発投手
今中慎二さんが当時を振り返り
「取材陣の中に見覚えのない人が多く
報道陣の多さに驚いた」
「この日の報道陣は、取材というよりも
『頑張ってね、応援してるから』と
まるで1ファンのような接し方だった」
と後年振り返っていらっしゃいます。
結局試合はジャイアンツが勝って
長嶋茂雄監督の胴上げとなります。
出典:https://middle-edge.jp/articles/IPXVx
当日の試合経過などについては
もはや語りつくされた感もあるので
割愛させて頂きますが
当サイトでは、長嶋茂雄監督の
ぶっ飛びエピソードをお伝えします!
出典:https://www.amazon.co.jp/10・8―巨人vs-中日史上最高の決戦-鷲田-康/dp/416375640X
長嶋監督は10.8決戦前夜
ホテルの自室に桑田真澄投手を呼び出します。
「桑田か?すぐに俺の部屋に来てくれ!」
長嶋監督は桑田さんを前に
「この間はナイスピッチングだった」
と2日前のヤクルト戦の8回11奪三振の力投を
労う言葉を掛けています。
小さく頷く当時26歳の桑田真澄投手。
バリバリ全盛期の桑田真澄投手は
中3日でも登板する気充分。
10.8決戦での具体的な
起用法を聞こうとしたところ
長嶋監督の電話が鳴ります。
「はいはいはい。あぁ、ケンちゃん!」
長嶋監督はそのケンちゃんに向かって
「明日はやるよ。俺たちは絶対にやるから!
……ありがとう……うん、ありがとうね!」
電話を切った長嶋監督は
桑田真澄投手に唐突にこう聞きます。
「ケンちゃんだよ、ケンちゃん。分かるだろ?」
…ケンちゃんって誰だよ。
トミーズ健か??まさか。
そんなもん、分かるわけないやろ…。
(↑これは管理人の妄想です)
しかし、天下のミスターにそんなことは言えず
桑田真澄投手が引っ張り出した答えは
「志村………けんさんですか?」
すると長嶋監督は驚いた顔で
「ケンちゃんって言ったら、
高倉の健ちゃんだろうよ!」
おそらく桑田真澄投手は心の中で
知らんがなっ!!
と叫んだと思われます。
肝心の起用法については
「痺れるところでいく!」
とだけ告げられた桑田真澄投手。
「監督、痺れるところというのは・・・?」
「うん? もう痺れるところですよ。クワタ!
痺れるとこで、ね。頑張ろう!よし!」
…何でしょう。
この全くかみ合っていない会話は。
その二人が24時間後、歓喜の抱擁を
交わすことになるとは。
出典:http://thirstyroad.ti-da.net/e2521415.html
まさに野球は「筋書きのないドラマ」ですね。
まとめ
あの伝説の10.8決戦から早くも
24年の歳月が流れました。
あの日の両軍のベンチ入りメンバーは
既に全員が引退。
その年に生まれた大谷翔平選手が
海を渡る事になりました。
同じく1994年にプロ野球史上初の
シーズン200本安打を記録し
大ブレイクした当時20歳の
イチロー選手は44歳の今も
現役を続けています。
時の流れは移ろおうとも
未だに語り継がれる10.8決戦。
今回の放送にも注目ですね!