訃報が飛び込んできました。
1/4に元中日・阪神・楽天で指揮を執った名将
星野仙一監督が膵臓癌のため逝去されました。
享年70歳でした。
出典:https://matome.naver.jp/odai/2133682051256093901
あまりにも急で突然だった星野仙一さんの死。
年明け早々から非常に悲しいですね。
今日は星野仙一さんの名場面(管理人独断)を
振り返りながら謹んで哀悼の意を表したいと思います。
皆様少々の時間、お付き合いください。
<目次>
- 星野仙一さんのプロフィール
- 暗くならずに「星野仙一」名場面!
- まとめ
星野仙一さんのプロフィール
出典:https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/01/05/kiji/20180105s00001173448000c.html
氏名:星野 仙一(ほしの せんいち)
生年月日:1947年1月22日
没年月日:2018年1月4日(70歳没)
出身:岡山県倉敷市
身長:180 cm
体重:80 kg
選手歴:岡山県立倉敷商業高等学校
明治大学
中日ドラゴンズ (1969-1982)
監督歴:中日ドラゴンズ (1987-1991,1996-2001)
阪神タイガース (2002-2003)
東北楽天ゴールデンイーグルス (2011-2014)
星野仙一さんは、明治大学出身。
1968年のドラフト会議で
中日ドラゴンズから1位指名され入団します。
実はドラフトの時には巨人から1位指名の密約
(※その年の目玉、田淵幸一を外した際の指名約束)
があったそうですが、蓋を開けてみると
巨人は高校生の島野修を1位指名。
このことから生涯を通じての「打倒巨人」
というスタンスが出来上がります。
現役時代は長嶋茂雄、王貞治全盛期の
巨人を相手に35勝31敗と勝ち越し。
巨人相手の30勝以上を挙げた投手の中で
歴代最高勝率を記録します。
引退後も「打倒巨人」を旗印に
1986年のシーズオフに中日ドラゴンズの監督に就任。
当時38歳の「熱血青年監督」として
鉄拳制裁も辞さない熱誠指導で
就任2年目の1988年にリーグ制覇。
第二次政権時代の1997年と1999年にも
中日ドラゴンズを優勝に導きます。
そしてドラゴンズ監督退任直後の2002年
阪神タイガース監督に電撃就任。
当時あまりに弱すぎて
逆の意味で伝説を残しまくっていた
阪神タイガースを率いて
就任2年目の2003年にリーグ制覇。
一躍時の人となります。
体調不良で阪神タイガース監督を辞任した後は
2008年の北京オリンピックで日本代表監督に
就任しますが、結果は4位。
一部マスコミから壮絶なバッシングを受けます。
2011年からは東北楽天ゴールデンイーグルスの監督に就任。
2013年に悲願の日本一を達成します。
その後は阪神時代と同じく体調の問題もあり
2014年に監督を勇退。
その後2017年の1月には野球殿堂入りを果たしていました。
星野監督と言えば
「熱血」「鉄拳制裁」「退場」「暴言」「乱闘」
等のイメージが非常に強いですが
中日監督時代は
1対4のトレードで
ロッテから落合博満選手を獲得したり
阪神監督時代は
広島からFAで金本知憲選手や
メジャーリーガーの伊良部秀輝投手を獲得したり
その大胆な補強を実現する
手腕にも注目が集まりました。
2017年11月末の自身の殿堂入りを祝うパーティーでは
非常にお元気な姿を見せてくれていましたが
膵臓癌はかなり悪化していたようで
2018年の1月4日にご家族に看取られて
お亡くなりになられたそうです。
突然の訃報となったのは
「人前で強気であることを貫いた“星野仙一”の
スタイルを最後まで全うしようとした結果である」
(※楽天球団発表)からだそうです。
暗くならずに「星野仙一」名場面!
選手として、監督としても一時代を築いた
星野仙一監督ですからしんみりした気持ちに
なってしまいそうですが、ここからは
管理人の独断で星野仙一さんの名場面をお伝えします!
<選手時代>
あの伝説の「宇野ヘディング事件」
マウンドにいたのは、当時現役の星野仙一投手でした。
その当時、巨人は前シーズンの1980年(昭和55年)8月4日から
連続試合得点記録が158試合続いており、この試合は159試合目。
星野仙一投手は
「巨人の連続得点記録はオレが止める」と
並々ならぬ気迫で試合に挑んでいました。
その気合通り7回まで巨人打線を
無失点に抑えていた星野仙一投手ですが
二死一塁の場面で
打者のショート後方へのポップフライを
中日の遊撃手、宇野勝選手が目測を誤り
おでこ(額)にボールを当ててしまい
ボールはレフトフェンス際へ転々。
出典:https://matome.naver.jp/odai/2142577642642844801
その間に一塁ランナーが生還してしまい
星野仙一投手の野望はもろくも崩れ去るのでした…
出典:https://www.youtube.com/watch?time_continue=5&v=2bh_5pW8cmI
当然マウンドで星野仙一投手はブチギレて
グラブをマウンドに叩きつけるのでした。
<監督時代>
-中日ドラゴンズ時代①-
1987年の熊本藤崎台球場での巨人戦で
中日の宮下昌己投手が
巨人のウォーレン・クロマティ選手に
死球を与えたことで乱闘が勃発。
クロマティ選手が宮下投手に
右ストレートパンチを喰らわせます!
出典:https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/08/14/gazo/G20150814010933080.html
それに怒った星野仙一監督は
当時巨人を率いていた「世界の王貞治監督」に向けて
コブシを突き出すのでした!!
出典:https://www.youtube.com/watch?v=SiDpvSB7iCo
-中日ドラゴンズ時代②-
1990年のナゴヤ球場での巨人戦。
(巨人戦ばっかりですね)
今度は巨人の槙原寛己投手の
中日バンス・ロー選手への頭部すれすれの
危険球をきっかけに両軍でにらみ合いが勃発。
出典:https://www.jiji.com/jc/d4?p=out100-jlp01221243&d=d4_spo
一時は一件落着と思われた中で
巨人ベンチからのヤジに星野仙一監督が再びブチギレ。
両軍入り乱れての大乱闘が発生します。
星野仙一監督は
何故か止めに入った巨人の水野雄仁投手に
ビンタを喰らわせます(笑)
出典:https://www.youtube.com/watch?v=_ZkQg9BicwE
選手以上に大暴れする星野仙一監督を止めるのは
当時、至難の業でした。
今だったら大問題になっていることでしょう。
-阪神タイガース時代①-
阪神監督時代も相変わらず暴れていましたが
ここからはまともな奴を(笑)
阪神タイガースが暗黒時代を乗り越えて
18年ぶりの優勝を決めたその試合。
さよならヒットを打った
赤星憲広選手を迎える星野仙一監督です。
出典:https://trendy15.info/?p=9447
いいシーンですね。
-阪神タイガース時代②-
そして、個人的ベストのシーンはこちらです。
2003年に阪神タイガースを率いて優勝しましたが
前年優勝の、巨人の原辰徳監督は
フロントとの軋轢もあり辞任を発表します。
その年の最終戦で星野監督から原監督への
花束贈呈シーンです。
因縁深い巨人ファン・阪神ファンが一つになった
個人的に最も印象深いシーンです。
-東北楽天ゴールデンイーグルス時代-
いう事は何もありません。
出典:http://www.sankei.com/photo/story/news/180106/sty1801060003-n1.html
星野仙一監督、悲願の日本一の
胴上げシーンです。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
70歳、まだまだ若い年齢だと思います。
安らかにお眠りください。
心より哀悼の意を表します。
星野監督、ありがとうございました。