いよいよ3/30に
開幕戦を迎えるプロ野球。
今年も野球のシーズンがやってきましたね!
開幕戦はシーズン143試合の1試合という程度の
意味合いではなく、そのシーズンの行方を占う
重要な意味合いも隠されています。
今日は開幕戦の歴史に残る伝説や
思い出を振り返ってみたいと思います。
皆さん一緒に確認していきましょう!
<目次>
- プロ野球開幕戦の懐かしい思い出や伝説!
1-1.1990年、巨人-ヤクルト戦(疑惑のホームラン)
1-2.1997年、巨人-ヤクルト戦(野村再生工場の神髄)
1-3.2004年、中日-広島戦(3年間登板なしで、開幕投手起用)
1-4.2011年、楽天-日本ハム戦(見せましょう、野球の底力を) - まとめ
プロ野球開幕戦の懐かしい思い出や伝説!
①1990年、巨人-ヤクルト戦(疑惑のホームラン)
1990年といえば、あの名将
野村克也監督がヤクルトの指揮を執った1年目。
いわゆる「野村ID野球」も
まだまだ浸透途上で、当時のヤクルトと言えば
“若手は元気で雰囲気も明るいが、弱い”
イメージのチームでした。
対するジャイアンツは当時の絶対王者。
藤田元司監督に率いられ前年の日本シリーズでは
近鉄相手に3連敗からの4連勝で逆転日本一の
座を掴み取ります。
当然、下馬評では巨人有利でしたが、
ヤクルトは先発の内藤尚行投手(※ギャオス内藤)が
力投し、8回裏まで1-3でヤクルトがリード。
巨人の攻撃はツーアウト、ランナー1塁で
打席には篠塚利夫選手が入ります。
出典:https://mobapro2.gamerch.com/篠塚和典
内藤投手の投球に篠塚選手が打ち返し
打球はフライのままライトポール際へ。
明らかにファウルの打球でしたが
判定はホームラン!!
当然ヤクルトベンチは総出で猛抗議。
明らかにファウルの打球を
同点ホームラン認定されたわけだから当然です。
当時テレビで解説を行っていた
長嶋茂雄さんは、VTRを見て
(一瞬絶句をした後)
ん…小川さん(アナウンサー)
このフィルムの角度からだと
ちょっと分かりませんねぇ。
いやいや、上からの映像で
明らかにポールの左を通過しているので
分からないはずがないのです。
当時リアルタイムでTV中継を見ていた
管理人の横で、阪神ファンだった父が
いや、分かるだろヾ(。`Д´。)ノ彡!!
と叫んだことを覚えています(笑)
結局判定は覆らず、同点に追いつかれた
ヤクルトは延長14回サヨナラ負け。
非常に後味の悪い開幕戦となってしまいました。
その後、ポールの色を白から黄色に変更
するようコミッショナー通達があり
ポールは全球場黄色に変更となりました。
後年、篠塚利夫選手も
バラエティ番組で
あれはファールでしたね
(・ω<) てへぺろ
と語り、ギャオス内藤投手を
唖然とさせていました。
②1997年、巨人-ヤクルト戦(野村再生工場の神髄)
時は経ち、
すっかり常勝軍団に変貌した
「野村ヤクルト」
ID野球も充分に浸透し
考える野球を標榜し
黄金時代を築き上げていました。
その野村監督の手腕の一つが
「野村再生工場」と言われた采配です。
特に他球団で戦力外になった選手や
トレードで移籍してきた選手を
コンバートしたり起用法を変えたりして
見事に活躍させる手腕は”お見事”の一語に尽きます。
小早川毅彦選手もその一人でした。
出典:スポニチ
80年代は広島東洋カープ不動の4番打者として
華々しい活躍をしていた小早川毅彦選手。
しかし徐々に若手の台頭に押され
ベンチを温めることが多くなり
ついに1996年オフに戦力外通告を受けます。
広島球団としては功労者でもある小早川毅彦選手に
コーチとしての打診や解説者としての仕事を
勧めますが、現役続行にこだわる小早川毅彦選手は
これを固辞しヤクルトに移籍します。
当時既に35歳だった小早川毅彦選手に対して
周囲も当然「過去の選手」という目で
見ていましたが、野村監督だけは違いました。
「お前は大学で1年から4番、プロで新人王。
だから移籍一年目も必ずやれる」
出典:wikipedia
と呪い暗示をかけ、
巨人との開幕戦で5番打者に抜擢。
巨人のエースは
当時開幕戦3年連続完封勝利という
凄まじい記録を持っていた大エース
斎藤雅樹投手。
誰もが
小早川?無理じゃね (*´Д`)=3?
と思っていましたが、蓋を開けてみると…
まさかの3打席連続ホームラン!!
これこそ「野村再生工場」の神髄。
出来すぎたストーリーに
全員度肝を抜かれました!
この年ヤクルトは
リーグ優勝&日本一に輝きますが
開幕戦でこの年の優勝を野村監督は
確信したとのことでした!!
③2004年、中日-広島戦(3年間登板なしで、開幕投手起用)
2004年に中日ドラゴンズの監督に就任したのは
“オレ流”こと落合博満監督。
監督就任後も常識に捕らわれない
奇抜なアイデアで中日に革命をもたらします。
その一つが
「2004年開幕投手に川崎憲次郎投手を指名」
でした。
出典:スポニチ
川崎憲次郎投手はヤクルトでエースとして大活躍。
巨人戦にめっぽう強く
「巨人キラー」として数々の勝利を挙げました。
2000年のオフにFA宣言し中日ドラゴンズに移籍しますが
度重なる右肩痛の影響で3年間の登板は「0」
3年間全く登板していない川崎憲次郎投手を
落合監督はいきなり開幕投手として起用するのでした!
結果としては、川崎憲次郎投手は
KOされてしまいましたが、それが逆に
チームの結束を固める結果になったと
落合博満監督は語ります。
またこの采配が他チームに
中日の不気味さを植え付けることとなり
この年のシーズン制覇に繋がってゆくのでした。
落合博満監督は、退任時のインタビューで
最も思い出に残っているシーンとして
2004年の開幕戦を挙げていらっしゃいます。
④2011年、楽天-日本ハム戦(見せましょう、野球の底力を)
開幕戦とは少し違いますが
2011年、東日本大震災が起こり
開幕することすら危ぶまれたプロ野球。
開幕前のチャリティーマッチで
東北楽天ゴールデンイーグルスの
嶋基弘捕手がチームを代表してスピーチを行いました。
見せましょう、野球の底力を。
この強いメッセージに
魂を震わせた方は多かったのではないでしょうか。
このメッセージが2011シーズンの
本当の始まりだったと感じています。
人々に勇気や感動を与えるプロ野球。
今年はどんなドラマが生まれるのでしょうか?
まとめ
いかがでしたでしょうか。
高校野球も含めて球春到来ですね(^^♪
2018シーズンはどのような記録が生まれるか。
非常に楽しみですね。
選手の皆さんも怪我無く
開幕戦を迎えてほしいものです。