1/17放送の
「トコトン掘り下げ隊!
生き物にサンキュー!!
VSリアルガチ最強生物」
で日本の歴史上最悪の獣害と呼ばれた
クマ事件が特集されます。
犠牲者7人を出した
クマ事件とは一体どのような
事件だったのでしょうか…
今日はこのクマ事件について
スポットを当ててみました!
皆さん一緒に確認していきましょう!
<目次>
- 歴史上最悪の獣害、クマ事件の事件や舞台とは?
- 三毛別羆(ヒグマ)事件の経緯
- まとめ
歴史上最悪の獣害、クマ事件の事件や舞台とは?
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/三毛別羆事件
この事件の名称は
「三毛別羆事件」
(さんけべつ ひぐまじけん)
と言います。
【別名】
六線沢熊害事件(ろくせんさわゆうがいじけん)
苫前羆事件(とままえひぐまじけん)
苫前三毛別事件(とままえさんけべつじけん)
時は大正時代
場所は北海道を舞台として
この惨劇は起こります。
現在でこそ
レジャー施設や
観光スポットなど
人でにぎわう北海道ですが
大正時代当時は、土地がほとんど開拓されておらず
未開の土地を人が住める場所にするため
開拓民として暮らしていた人が多数存在します。
当然自然との闘いが必然的に起こります。
天災や野生動物と
度々戦ってきたと言われています。
しかしそのような開拓民の人々でも
太刀打ちできなかったのが今回の
「三毛別羆(ヒグマ)事件」でした。
北海道の開拓民の集落を
巨大な羆(ヒグマ)が襲ったこの事件の舞台は
北海道の留萌管内苫前村
三毛別六線沢(現在の苫前町三渓)付近です。
出典:https://www.kitakaido.com/ororon/tomamae/tomamae_12.html
現在も都市部として発展しているわけではなく
積雪が多い冬季は、立ち入ることが難しいとも言われています。
今でも周辺は森の中となっている為、
現在でもクマが出没しそうという話もあります。
集落を襲った羆(ヒグマ)の大きさは
推定体重340kg 体長2.7mのオスの
羆(ヒグマ)だと言われています。
2.7mの体長ですがこれは4足歩行時の
大きさと言われています。
羆(ヒグマ)は時折
2足で立ち上がることもありますので
立ち上がった場合はこれよりも
大きかったと言われています。
これでは人間が太刀打ちは出来ないと思います。
事件の舞台となった時期は
12月の厳冬期ですが
当然野生動物は冬眠の時期です。
この羆(ヒグマ)は身体が大きすぎて
冬眠用の穴が見つからず
空腹も重なって凶暴になったと言われています。
三毛別羆(ヒグマ)事件の経緯
出典:http://buzz-netnews.com/bear_100years
1915年12月9日~
羆(ヒグマ)が仕留められた
12月14日までの間に
7名の犠牲者が出る惨劇となりました。
この事件の大きな特徴は
羆(ヒグマ)が繰り返し何度も
襲撃したことにあります。
実は既に11月初旬から
三毛別地区への羆(ヒグマ)の襲来は
続いており何度か仕留めるチャンスはあったものの
鉄砲の不調などで取り逃がしてしまっていたそうです。
12月9日の襲撃の際に
女性と子供が犠牲となります。
翌12月10日にその犠牲者2名のお通夜を
執り行っている最中に
再度、羆(ヒグマ)の襲撃に会い(2度目)
3度目は同日、別の家に羆(ヒグマ)が襲撃し
女性1名と、子供3名、胎児1名が犠牲となります。
この時は
「野生動物は火を恐れる」という言い伝えのもと
松明(たいまつ)を家に用意していたそうですが
全く効果がなかったそうです。
結局北海道庁が組織した討伐隊の
腕利きのマタギによって
その羆(ヒグマ)は仕留められましたが
100年以上経った今も
獣害としては歴史上最悪の惨劇として
今でも語り継がれています。
まとめ
この事件の羆(ヒグマ)は
解剖の結果、この三毛別地区とは
別の地域でも既に集落を襲撃しており
そのしつこさや
火を恐れないなどの特殊な習性が
被害を大きくした要因だと言われています。
最近ではこのような規模の被害を
想定することは難しそうですが
野生動物との共存はこの当時からあったんですね。
出典:https://www.amazon.co.jp/慟哭の谷-北海道三毛別・史上最悪のヒグマ襲撃事件-文春文庫-木村-盛武/dp/4167905345
出典:https://www.amazon.co.jp/羆嵐-新潮文庫-吉村-昭/dp/4101117136
この事件を題材とした書籍も出ていますので
興味のある方は是非読んでみてください!